ナイチンゲール,クリミアの天使

ナイチンゲールがしたこととは?

クリミア戦争は、1853年〜1856年の3年間続けて、フランス/イギリス/サルデーニャ/トルコの4国の連合軍と、ロシアの1国で起きた戦争であり、クリミア半島で戦われていたことからそう呼ばれています。

ナイチンゲールがクリミアの天使と呼ばれているのは、この戦争において類稀なる才能を発揮したからです。
生涯を看護に捧げた女性、フローレンス・ナイチンゲールについてご紹介します。

「白衣の天使」の由来とは?

ナイチンゲールはその看護の姿勢から、“クリミアの天使”や“ランプの貴婦人”、“白衣の天使”と呼ばれておりました。

看護師が白衣の天使と呼ばれるのはナイチンゲールの呼び名から由来したものなのです。
しかしナイチンゲール自身は白衣の天使と呼ばれるのを好みませんでした。

看護師に志願したことが始まり

元々、イギリスの上流階級の生まれだったナイチンゲールは、1837年2月7日に神からの「私の元にて奉仕しなさい」という声を聞き、当時において忌み嫌われていた看護師に自分から志願し、看護の勉強・訓練を受けました。

そして母や姉に反対されても、婦人病院の看護監督として勤め出すと、クリミア半島で紛争が起きます。
数十人の看護師を引き連れて、戦地であるスクタリに赴き、そこで目にしたのは酷い衛生環境でした。

スクタリの野戦病院でのナイチンゲールの活動は、一日に1.200人も送り込まれる兵士たちに8時間も膝をついて包帯を巻き続けたり、衛生環境の改善、夜には傷ついた兵士たちの元へ灯りを持ち、何千人という患者たちの見回りを行ったといいます。

伝染病による死亡率を劇的に下げた功績

コレラなどの伝染病が広まっていた野戦病院での兵士の死亡率は、ナイチンゲールら看護師の活躍によって40%前後から2%程度まで引き下げられたのです。

衛生環境の改善が大事だということを軍の上層部に分かってもらうため、幼い頃から数学と統計学が得意だったナイチンゲールは、この野戦病院での死亡統計などをまとめ提出しました。

統計的に出された数字には説得力があり、ナイチンゲールが作った統計グラフの様式は現在も使用されています。

ナイチンゲールの創った看護の基盤

クリミア戦争が終結後には、自身の体を壊し、病床生活をおくることになります。
病によってベッドの上での生活を送ることとなったナイチンゲールは、クリミア戦争での劣悪な衛生環境において、戦争による負傷とは関係のないことで亡くなっている人が多いことを綴った「英国陸軍の健康と能率、病院管理の覚書」と、初の看護書籍「看護覚え書」を発行します。

ナイチンゲールが生涯をかけて伝えたこと

1860年には初の看護学校(ナイチンゲール看護婦養成所学校)が創立されました。
また、「赤十字の父」と呼ばれ、赤十字を設立したアンリ・デュナンがナイチンゲールのこれまでの働きを高く評価し、赤十字勲章の受章や、英国看護協会の立ち上げに協力してくれ、1907年には女性史上初のメリット(有効)勲章を受章しました。

ナイチンゲールは3度のプロポーズがありながらも断り続け、人生を傷病者の看護に捧げました。
そして1910年8月13日に90歳という年齢で亡くなりました。

ナイチンゲールは新鮮な空気や清潔さなど、環境を整えることで自然治癒を促されること、看護にとって衛生環境が大事ということを、その人生を通して教えてくれました。

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